第一章「俯瞰風景」に続きテアトル新宿で行われた10周年メモリアル上映会、第二章の紹介です。
今回は本編としては始まりの物語となっています。
空の境界シリーズの時系列の最初。
その為ありとあらゆるものが関連性も関係性もなく。
これからの展開の基礎となるお話です。
第二章「殺人考察(前)」
第二章「殺人考察(前)」は二人の両義式(織)と黒桐幹也の出会いを描いている。
1993年3月
しんしんと雪が降りしきる夜、黒桐幹也少年は着物姿の可憐な少女と出会う。幹也はその可憐な姿に惹かれたのか思わず声をかける。
すると少女は振り返り微笑む。
ちょっと化物語っぽい振りむき方ですね!ガクッと首が折れそうな。
でも殺人考察は2007年、化物語は2008年…もしかして空の境界が初!?
黒桐幹也はこの春から「観上高等学園」に入学する新入生。
保護者含めてスーツ姿の新入生に沸く高校の入学式。
そんな中ひと際目を引く着物姿の少女。
式と幹也の通う高校は服装自由だが着物姿は否応に目立つ。
幹也はその少女にあの雪の日を重ね声をかけるが少女の反応は普通ではあるが別人の反応のように顔を歪め
「あなた誰?」
人を惹きつけるその、容姿に対して、纏う空気は人を寄せ付けないもので黒桐幹也少年以外に近寄る人もいない。
容姿に対して纏う空気でどちらかというと悪目立ちしていた。
幹也の男友達も「あれは怖い女だぜ」と漏らすほど。
それだけに周囲は式と幹也が特別な男女関係として見ている人も多い。
両義本人も人を惹きつけないように接している様子。
そんな式を人懐っこい犬のような幹也は相手を警戒をするりと抜けて心に踏み入ってくる。
そんな接され方や簡単に自分の中に入ってくる幹也が気持ち悪かった。
しかし悪い気はしていないため付き合いは良いのである。
根暗と言ってしまうとそのままだがこんな中にもそれぞれ意味を持つのが奈須作品の魅了だ。
そんな中幹也だけが積極的に接してくるので、両義は人とあえて親しくしないようにしている理由を告げようと出かけに誘う。
勘違いされるのが嫌いな式が手紙でお誘いなんて勘違いされないと思っているのを勘違いしているのか天然なのか時代背景の描写なのか。
式の文字見てみたいですよね。良家のお嬢様の文字は美しいだろうな。
当日、幹也の前に現れたのは、今まで接していたおしとやかな彼女とは正反対のサバサバした、まるで男性のような立ち振る舞いの両義でした。
そこで告げられるのは衝撃の事実!両義は「2重人格」だったのです。
いつも幹也が接していた両義は「女性人格の両儀式」、男性のような方は「男性人格の両儀織」と二つの人格を持っている。
またその考えも特有で女性人格の式は「肯定の人格」、男性人格の織は「否定の人格」としている。
否定の人格とは悪人というわけではなく式の負の感情を背負う感情として存在すると打ち明ける。
式は生まれながらにして織という人格が存在していた。
織は生まれながら最初から否定の感情、知識が蓄えられていた。
式と織は人格は違えど感情、知識などを共有している。
なので式は生まれた瞬間から負の感情と言えるものが織から流れ込んだので、世の中の汚い部分最初から知っていたのだ。
人の汚い部分を人生の経験ではなく生まれながらに知っていればそりゃ人間不信にもなるよな。
良家のお嬢様で教育を受けなければ、とんでもない不良になっていたでしょうね。
しかし良家のお稽古事は真剣でやるのね!親子同士で真剣で稽古って
ちょっあぶなあっぶあっぶね!
人の負の感情をということは当然式自身にも負の感情がある。
その負の感情は織が代わりに引き受けている。
その最たるものが「殺人衝動」である。
観布子市内では無差別な猟奇殺人が起こる中、式はその殺人が殺人衝動を持つ織の仕業ではないかと考え、いずれ幹也が織に殺されてしまうことを思い自分から幹也を引き離そうとする。
無差別事件は殺人内容もエスカレートしていき、段々手口が手馴れてくる。しかも現場近くには観上高等学園の校章が落ちていた。
しかし、幹也はそんな式の忠告も耳を貸さず、耳は貸していたが信じず、式の潔白を証明するために両義家の敷地で張り込みを行う。
夜に式が出歩かなければ、式が在宅の時に類似事件が起これば式の潔白を証明できる。
ってのは幹也の建前で本当は式ともっと一緒にいたいため。
それじゃなきゃここまでやらないでしょう。幹也はそこまでお人よしではない。
幹也は善には優しく悪には厳しく、優しい口調で厳しいことを言う。怒らせたら一番怖いタイプですね。
それはのちの章でも明らかになるので後ほど。
幹也のお人よしはこの頃も既にあったと、生まれ持ったお人よしなのです。
ある日の張り込み日、竹林の細道の石畳の隙間にそって赤い液体が流れ込んでくる。
この背景を丹念に美しく描いているお陰で場面場面の雰囲気や描写の幅が広がり際立つ。
私もその赤い液体の先に何が待ち構えているのかどんな展開が待ち受けているかドキドキしました。
嫌な予感はしたが幹也は確かめずにいられなかった。
式じゃなかった身の潔白を証明できる。
不安もあったが幹也少年の中には同時に希望もあった。
しかし、幹也少年の希望は一瞬にして打ち砕かれる。
その奥には血しぶきが上がる死体と血の雨を浴びて高揚している式がいた。
高揚感に浸っていたのである。
その間違いようのない高揚感に浸る表情は疑うことなく織の中に潜む殺人衝動を垣間見える。
喜んでいるのか?
幹也はそれを認識すると恐怖に支配される。
希望を失われたショック、人間の人間じゃなく姿にこの世のものとは思えない風景に体が拒絶反応を起こした。
写真奥は式、手前は幹也くんです。
竹林でなければ。もっと森林や建物に覆われたところであれば。
そう思わずにはいられない程、竹はまっすぐに伸びその間からの月明かりが現実を照らす。
混乱する幹也の心は人間の本能である死の恐怖に到達すると逃げて逃げて逃げた。
状況確認、織への聴取、そんなことはどうでもよい。怖くて、信じられなくて、何が何だかわからくて、死にたくなくて、自分が大事で、救いたいけど勇気が出なくて。
しかし逃げて逃げて細道を抜けた先で織に捕まってしまう。
首筋にあてがわれたナイフに息を呑む。
普段はひょうひょうと核心を突き、平気で怪しい人も信じようとする幹也も流石に出てきた言葉は動物の本能で人の形から絞り出された一言。
「死にたくない…」
雨の中そんな幹也を見下ろし式は寂しい顔を浮かべ、涙かそれとも別の何かを堪えているのかそんな表情を向けこう告げる。
「俺はお前を殺したい」
その声は引きつっていて悲痛状態でなぜその言葉が飛び出したのか。
いつかの夕日の教室で織は幹也に対し疑問と宣言というか忠告をした。
「式の殺人の定義はね、俺を殺すってコトだよ。俺なんて言うやつを外に出そうとするものを殺すんだ。」
「式はね、自分を守る為に、式の蓋を開けようとするものをみんな殺してしまいたいんだ。」
つまり自分(式)の心の蓋が開くということは同時に殺人衝動が表に出てしまう。支配されてしまう。
自分では心を押し殺せばそれで良いが、開けようとするものは殺してしまいたい。
だが実際には殺せない。殺人衝動を抑えているのだから。
他人に殺人衝動を起こさせるのが最も危険なことなのだ。
幹也もなぜかそれを本能的にわかっていたのか、式は人を殺せない、本当は優しい子と信じ続けた。
何が彼女を動かしているのか、幹也との出会いで彼女の中で何が起こっているのか。
本作では謎の青年の一言「4人はやりすぎだろう」が式の不安を増長させている要因の一つでしょう。
その人数は最近起きている連続殺人の殺害人数だからです。
そして青年は何かを知っている口ぶりでそう告げたのです。
考察は尽きません。予想、予測はできます。
ですが本章で核心的な結論はありません。
物語は始まったばかりで、ゆっくりと進み始めてばかりです。
まとめ
本作はあくまで殺人考察の前編である。第七章の後編でありとあらゆる核心に迫るため曖昧な部分や伏線が張り巡らされている。
その為、人によってはアクションシーンもほとんどなく、淡々と進み何もわからないまま終わってしまう第二章は退屈だと感じてしまうだろう。
だが美味しいものは最後に食べようの精神の人はこの前編は避けて通れないだろう。
後で第二章を飛ばして見た自分を呪うだろう。
時間を巻き戻したくなるだろう。
過去の自分に殺人衝動が沸いてくるだろう。
そうなる前に前編で考察しよう。
それが「殺人考察(前)」です。
本作は難解と言われた第一章より映像作品的には難しいと感じました。
殺人衝動がテーマだがどこかみんな受動的でそれぞれが何かを求めていて、誰一人として核心的な発言をしない。
それだけキャラクター同士の関係性はまだ薄く、お互いがお互いを牽制しあっている。
思春期の学生の物語はそんなもんだろうと思うでしょう。それもあるかもしれません。
結局は経験し成長しないと第一章の式にも幹也のもならなかったでしょう。
本作で盛り上がる箇所はない。
・式は幹也との出会いを覚えていない
・二重人格の理由
・殺人衝動の持つ意味
・式の幹也への本当の思い
・無差別連続殺人の真相
・後章話しの導線
伏線を各所に散りばめ物語の怪物は身を潜めている。
あなたがこの物語を見ないまま後の章を見た場合、物語の怪物は途端に小さなものになるだろう。
そのぐらい起爆剤として本作はとんでもない要素を秘めているのは間違いない。
みなさんが空の境界という作品を楽しみたいのであれば避けては通れない通るべきではないのが第二章です。
この章のタイトルは上手いですよね。盛り上がる箇所がないところを見越して「前編」と銘打っている。
きっと後編があって物語の本筋はそこだろうと読者を足止めし物語を読み進めさせる。
第二章は本来の小説版の活字の美しさを映像を通して活字にはない光や色で演出している。
空の境界ファンはこの作品を観れば如何にufotableスタッフの熱意と執念と意地を見せつけられるでしょう。
もしFGO(Fate/Grand Order)のコラボから作品を知った人は元作品の本質と始まりを知ることになるでしょう。
どんな形であれ空の境界を知った人は第一章からではなくとも第二章の時系列的始まりの物語から観賞してもいいかもしれません。
それでは次もね~