パッケージ派?ダウンロード派?思い出として心に残り続ける思い出コンテンツになりえるものの未来

こんにちは、DAISUKEです。

ダウンロード販売、無店舗運営、電子書籍、など生活スペース、利便性、ビジネスなど持たないことが便利で求められる時代となってきました。

そんな中持つことに意義がある、そこに実際に存在するものを愛おしく思うそんな収集癖がある私は残らないことが当たり前になる時代を少し寂しく思います。

今回は思い出の在り方について実際の物(パッケージ)とダウンロードコンテンツと比較して考えてみます。

 

これからの思い出のコンテンツってどうなるの?

思い出とは思いが形として再現出来なければならない。
ふと過去の思いを連想させるような言葉や風景、物、音などがある。
ゲームもその一つで時代を築いてきた物達がレトロゲームとして後世に受け継がれる。
しかし、最近のゲームがどうだろうか。
ダウンロード販売やソーシャルゲームなどサービスが終了してしまえば、永久的にプレイできなくなってしまう
友人と思い出に浸ろうにも現物がなく、買い直すこともできない。せいぜい動画サイトでプレイ動画を見てそうだったかもぐらいだろう。思い出には再体験が必要だと私は思います。動画は歴史的資料として大いに価値がある。しかし思い出に他人の価値が入る隙間はないのだ。

話しは変わりますが、私はゲームを購入するときはパッケージ派です。何故かというと物が残るからです。パッケージ版であればダウンロード配信のようにサービスが終わっても遊び続けられるからです。
あと飾れる!生粋のマニア気質なのでその辺は賛否両論あると思いますがとにかく形として残ることが好きなんです
私にとってロード時間もディスク入れ替えの手間も後々遊べなくなる恐怖に比べればなんてことないのです。

最近ではパッケージ販売でも説明書が電子化されて寂しい限りです。コピーしたりしておけばと言われるかもしれませんが複製が簡単なものにもはや魅力という概念は生まれません。

それはただの使うものでしかありません。合理的ですが、冷めています。思い出は温かいものに限ります。

 

人類思い出保管計画!

悪い思い出は色濃く残るので、良い思い出はできるだけたくさんほしい。複製できるがオリジナルを作れないと思い出には昇華できない。

ファミコンなどに名前や自分のものだとわかるシールなど自分だけのものという主張ができ、世界に一つの思い出となる。後で振り返ったときに「あんなことあったなとか」、「説明書のこのシミお前があの時飲み物こぼしたからだろう」など良い思い出としてよみがえる。

ダウンロード販売にその痕跡が残るだろうか?ゲーム内テキストなどで残せるとしてもサービスが終わり次第それは闇に消えてしまう。

その反面悪い思い出もよみがえってくるパターンもあるので一概にはなんと言えないけど。

 

ダウンロードコンテンツが悪いのではありません

ものが合理的に使われるのは良いことです。便利なアプリケーションなど私たちの手元で見えずとも大変満足な「結果」とし私たちに大変な利益をもたらしてくれます。

使い方いかんでは私たちの人生で一番大切で大事なもの「時間」を有効活用することができます。

電子媒体にすることで資源を使わなくても済む。地球に優しいです。

 

これからの思い出コンテンツ

私が最近びっくりしたのがAR技術で故人の思い出の場所でそのアプリを起動すると故人が映像として出てくるものです。

生前に映像を撮り思い出の場所で起動するとアプリ内に故人が映し出されるサービス…凄く良いサービスだけどサービスっていう響きが…

思い出は心、体にまとっていたいというのが個人の心情だが古いのかな?

VRは仮想現実という意味で思い出のトリガーとしてひそかに期待している。またコンテンツを脳などに鮮明に記録できいつでも引き出せる技術などがあれば、ダウンロードコンテンツも悪くないのかもしれません。

 

まとめ

今後どのようにコンテンツを思い出として残せるか、記録より記憶に残るか個人的には期待しています。なんとなくそういった感覚がなくなる世の中になるであろうという残念な気持ちもありますが、残らないからこそより思い出はコンテンツ・ビジネスとしてブームのサイクルが回ってくるのではないでしょうか。

そんな時みなさんは何を思い出として求めるのでしょうか。過去を振り返るために未来の技術を使う。そんな時代がそう遠くない未来に訪れるかもしれませんね。

 

それでは次もね~

 

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